ここ数日、原因不明のイライラに悩まされていました。
イライラを助長させる要因はいくつかありましたが、明確に何が原因なのかはわかりませんでした。
ただ、こういったときにひたすらに落ち込んだり、暴力的になってしまうのは良くないと過去の経験から知っていました。
なので今回は少し賢くなろうと思い立ったのです。
イライラの原因はわかりません。しかしなぜイライラするのかはわかります。ストレスがかかっているからです。
自分の許容範囲以上のストレスがかかっているからイライラが止まらなくなり、思考停止し行動不能に陥るのです。
ストレスという言葉は悪い印象がありますが、ストレスの中には良いストレスもあります。
ほどよいプレッシャーが自分を成長させることもあります。ストレスとはあくまでも自分自身への刺激のことなのです。
ただ、良いストレスよりも悪いストレスのほうが多いと感じるのは僕だけでしょうか?
いや、多くの人が悪いストレスを日々感じながら生きていることでしょう。
そこで僕は考えました。ストレスの要因になりそうなものを排除していこうと。
まずストレスの原因を断ち、これ以上負荷がかかるのを防ぐためです。
さて、ここでやっとタイトルにつながりますが、今日はスマホを持たずに1日過ごしてみました。
スマホに支配される毎日
まず前提として、スマホそのものがストレスになっているわけではありません。
スマホは便利です。電話もできるしメールもできます。写真も撮れるしネットも使えます。
1人の手の中に人類が経験した多くの出来事が収まっているのです。まさに人類の英知の結晶といえるでしょう。
ただ、その何でもできるスマホに苦しめられている方も多いのではないでしょうか?
何でもできるがゆえに、常にスマホを持ち歩き、数秒の時間ができたらすぐスマホを見る。
待ち時間はスマホ。友人とのランチでもスマホ。外出先から帰宅する前にスマホ。家に帰ったらスマホ。
1日の中でスマホに触れていない時間など無いのではというほどにスマホに依存している。
そして、そんなスマホに支配され、気づけば1日が終わっている。
今日、自分の目で見ていた景色で記憶に残るものはなく、覚えているのはyoutubeで見た動画だけ。そんな自分に何とも言えない罪悪感や虚無感を覚える…。
もう一度言いますが、スマホそのものが悪いのではありません。使い方を誤ったり、使いすぎる人間が悪いのです。
ただ、もうほとんどの人がスマホ依存でしょう。もうスマホのない生活なんて考えられないのでしょう。
大多数の人間がスマホに支配されている事実を書きましたが、僕も同じようなものです。気づいたらスマホを触っている自分がいますし、そうして何時間も経過しているのです。
そして今日1日の記憶がないままその日を終えます。何していたのかあまり覚えていません。
以前よりスマホを触りすぎていることに少しのストレスを覚えていたのですが、自分の中でそこまで大きなストレスになっていないと思っていました。
ただ、普通に生活していれば受けることのない刺激をスマホを通して毎日長時間受けています。良くも悪くも刺激が多すぎるのです。
だから思い切ってスマホを置いたまま仕事に出かけました。
スマホを持たないということ
1日スマホを持たずに過ごしてみて以下のようなメリット・デメリットがあると感じました。
スマホを持たないメリット
ポケットの中が軽い
いつも僕は左のポケットにスマホを入れています。そしてもう片方の右のポケットには車のキーを入れています。
スマホの重量はせいぜい100数十グラムでしょう。しかし、1日中ポケットの中に入れているとやはり重さを感じます。なんとなく体の左側が重たいような気がするのです。
あとは通知の振動があるとどうしても気になってしまいますね。どうでもよい通知だとわかっていても確認したくなってしまいます。
スマホを持たないと、ポケットの中には何も入れる必要がありません。するとどうでしょう。体が軽いのです。
嘘だと思うでしょうが本当。スマホ1つ無いだけでこんなにも軽くなるのかと驚きました。
行動が早くなった
スマホがあると、なにか1つの行動をして次の動作に入る前に意味もなく画面を見てしまうことはないでしょうか?
多くの人は心当たりがあるはずです。
昼食を食べる前にスマホをチェック、車に乗ったらまずスマホを見る、など…。
僕もそうです。エレベーターに乗ったらスマホを見ていましたし、トイレに行って手を洗ったらスマホをチェック。
特に仕事が終わって帰宅する際、車に乗ってからのスマホは長く、15分は見ていました。
ここでスマホを持っていないと当然ながら見るものがありません。だから動作の合間を遮られることがないのです。
今日1日は次の動作にすぐに移ることができました。いかに無駄スマホをしていたか分かります。
受け取る情報量が減った
スマホに限らず、ネットワーク機器を持っていると受け取る情報量が多くなりがちです。
これは自分が望んでいてもそうでなくても同じ。ネット環境に身を置くだけで受け取る情報量は格段に増します。
これが意外と厄介なのです。
この「情報を受け取りすぎること」を心理学では過剰負荷環境というらしいです。
そして人間は過剰負荷環境に置かれると自分に必要ないと判断した情報を切り捨てます。そして最小限のコミュニケーションしかとらなくなるそうです。
さて、これを書いている季節は春ですが、あなたは今日通った道に咲いていた花を1輪でも覚えているでしょうか。いや、そんなもの見た記憶すらないでしょう。
それは自分にとっては不要な情報と判断されたからです。
多すぎる情報はあらゆるものを切り捨ててしまいます。ふとしたことで心が動くきっかけがあっても、それすら見なかったことにしてしまうのです。
SNSで発信されることが世界のすべてのように思えて、本来あるはずの日々の感動体験を奪われてしまうのです。
スマホがないと自分の元に世界の情報は入ってきません。知らないことが増えるのです。
もしかすると友人の会話にはついていけなくなるかもしれないです。
でも知らなくていいこともあります。そういった情報に触れなくてよくなりますから、外界の知りたくもない情報から受けるストレスは低減します。
スマホを持たないデメリット
緊急時に電話が使えない
思いつく限りのデメリットは本当にこれだけです。
これもさらに状況が限定されます。
例えば目の前で交通事故が起こったとしても、近くにいる誰かが携帯を持っていますので、その人に通報してもらえばいいのです。
また僕は営業職でもないので、外出先で会社やお客さんから連絡が来ることはありません。本当に稀に会社から連絡が入ることがありますが、ほとんどの場合は忘れ物がある時です。別に重要ではありません。
あとは家族になにか起きたときですが、それもほとんど無いでしょう。
とはいえ、自分自身が誘拐された場合はスマホがあると助かるかもしれませんね。突然車で拉致されたときに位置情報がわかるスマホは役立ちます。山で遭難した時もそうです。でも誘拐されることなどほとんどありません。山に登ることもほとんどありません。
つまりスマホがなくて困る状況というのはかなり限定されるものであり、本当の本当に急を要するときだけなのです。
たまにはスマホのない日も悪くない
今日1日スマホを持たずに生活してみましたが、何一つ不自由なことはなかったです。
よく考えれば当たり前のことでした。昔はスマホを持っていなくても楽しく生活していたのですから。
いつからか、スマホがないと何もできないように感じている自分がいたんですね。
何度も言いますが、スマホそのものに罪はありません。悪いものでもないと思います。
一番恐れるべきは、スマホがないと生きていけないという思考に囚われている自分自身かもしれませんね。
この記事をご覧の方は、スマホを使いすぎる自分を変えたいと思っている方が多いと思います。
しかしそれをとても難しいことと錯覚しているのではないでしょうか?
スマホを持ち歩いていないと不安になってしまうのではないでしょうか?
断言します。思っているよりも簡単に変われます。
ただ、朝スマホを置いて家を出る。これだけでいいのです。
スマホを机に置いたらすぐに家を出てください。そしてそのまま走って家から離れてください。
それだけで、スマホのない1日の始まりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ちなみにこのブログを読んでいる9割の方は、スマホからアクセスいただいています。ありがとうございます。スマホ最高。
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